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医局の沿革

大学開校時期

1931(昭和6)年、名古屋市瑞穂区瑞穂通に開設された「名古屋市民病院」を基礎として、1943(昭和18)年4月に開校した「名古屋市立女子高等医学専門学校(5年制)」が、本学の始まりである。

翌1944(昭和19)年4月に、国家的要請から修業年限を4年として「名古屋市立女子医学専門学校」に改称した。

その後同校を基盤として、1948(昭和23)年4月に「名古屋女子医科大学」を設置し、1950(昭和25)年4月に「名古屋薬科大学」と合併・統合して「名古屋市立大学」となった。

教室開設年月日

1951(昭和26)年9月1日

設置場所

教室の開設当時、臨床医学部門および附属病院は瑞穂区瑞穂通に、基礎医学部門は瑞穂区田辺通に置かれていた。

1958(昭和33)年から基礎医学部門が、現在の川澄地区へ順次移転し、1966(昭和41)年11月の研究棟および新病院(624床)の完成によって、医学部のすべてが川澄地区に移転した。

開設以来の同門者数

344名  (2006年4月現在)

歴代主任教授と在任期間

上田 文男 教授 (1907~1988)
在任期間 1951年9月1日~1970年3月31日
上田教授

初代の上田文男教授のライフワークは、恩師名倉重雄教授(名大)に連なる先天性股関節脱臼であり、「いわゆる自然治癒」や「保存的治療の成績」を主たるテーマとしたが、当時患者数の多かった骨・関節結核や外傷にも研究活動の場を拡げた。
1963(昭和38)年からは、外来診療をクリニック制(先天異常・リウマチ・腰痛・関節疾患など)として、各種疾患の病態の究明・治療成績の向上を図り、教室の臨床・研究面での方向性が定まった。

また1962(昭和37)年5月16日より2年間にわたり病院長を兼務し、新病院の建設計画を推進した。

定年退職後は愛知医科大学の設立に尽力し、1972年4月整形外科学教室を開講した。1988(昭和63)年1月22日に逝去された。

棈松 紀雄 教授 (1925~1984)
在任期間 1971年6月~1984年9月25日
棈松教授

第2代棈松紀雄教授は、大学紛争の余燼の残る医学部の中で、新しい研究・診療体制の再構築に精魂を傾けた。

骨折の治療(特にAO法)の第一人者であった先生は、整形外科外傷学のみならず脊椎外科、関節外科などの新しい分野でも多くの優れた業績を残し、教室・関連病院を充実発展させた。

また1979(昭和54)年1月より2年間にわたり病院長を兼務した。国際交流に深く寄与し、特に中国との学術交流を極めて熱心に推し進めた。

現職中の1984(昭和59)年9月25日、58歳で逝去された。

松井 宣夫 教授 (1936~)
在任期間 1985年9月1日~2002年3月31日
松井教授

第3代松井宣夫教授は、脊椎外科、関節外科、骨・軟部腫瘍、小児整形外科、リウマチ外科、関節鏡視下手術と多岐に渡る臨床活動を更に推進・発展させ、また関連病院の充実に努めた。

特に、渡辺正毅教授の直接指導を受けた関節鏡学の基礎を礎に、膝関節を初めとする半月板手術、膝関節靱帯再建術、関節鏡視下滑膜切除術など関節鏡視下手術開発の先駆者の一人としてその発展に貢献した。

またセラミック製の名市大式人工膝関節を開発し、低磨耗の人工関節として臨床に供した。整形外科領域のみならず、長年日本リウマチ学会の役員として専門医制度にも関わり、リウマチ学発展に貢献した。

1997(平成9)年4月より2年間にわたり病院長を兼務し、臓器・疾患別の診療科再編成や新病棟・中央診療棟建設の立ち上げに尽力した。

大塚 隆信 教授 (1952~)
在任期間 2002年9月1日~
大塚教授

第4代大塚隆信教授は、悪性骨軟部腫瘍に対する放射線・温熱・化学療法の三者併用療法の臨床応用を進めており、悪性腫瘍の縮小手術や患肢温存療法に大きな成果を上げている。

2003(平成15)年より日整会骨軟部腫瘍委員会委員長を務める傍ら、モンゴル医科大学健康科学院客員教授に就任し、骨軟部腫瘍の分野で活躍している。